ライター:一色先生
2022.04.12
トッシーこと、一色です!こんにちは。
今回のテーマは「日本の経済成長とオフィスの変遷」です。
「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
フランスの画家ポール=ゴーギャンの絵画のタイトルです。日々“忙”しく活動して、心をなくしていることにふと気づいた時、この絵とタイトルを思い出すことがあります。
皆さんがオフィスで普段仕事している時、「なぜこのようなオフィス空間になっているのか」、「今のオフィス空間が最適なのだろうか」と考えることはあるでしょうか。オフィスのこれからや、あるべき姿を描くときに、オフィスの変遷や原点を知ることは、多くのヒントを得ることになります。
今号では、日本のオフィスの変遷を、経済成長とともに1950年代から10年ごとに解説します。
1.1950年代のオフィス(戦後復興期)
1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と記述されました。当時はオフィスというより事務所と呼ばれていました。そこでは鉛筆、消しゴム、便せん、算盤が仕事の大事な道具でした。感光紙を使った湿式のコピー機が登場したのもこのころです。まだ目にすることがありますが、グレーのスチール家具が一般オフィスでも使用されはじめ、一挙に普及していきました。
(レイアウトは島型対向式)
2.1960年代のオフィス(高度経済成長)
1964年の東京オリンピックに合わせるような形で東海道新幹線、名神高速道路が開通しました。生活面ではカラーテレビ、クーラー、マイカーの3Cが豊かさの象徴。建築基準法の改正により、超高層ビルの建設も可能となり、1968年に36階建て147mの霞が関ビルが登場しました。
オフィスに冷房が普及してきたのもこのころです。(筆者が社会人になったのは1970年代後半ですが、そのころでも残業や休日出勤の時は、冷房を使用することができなくて、真夏は洗面器に水をはってそこに足をつけて仕事することもありました)
ホストコンピューターが導入され、デスクの上には電卓、乾式コピーが導入されてきました。ほとんどのオフィスが島型対向式で配置されたグレーデスクとビニールレザーのグレーの事務用回転イスで構成されていました。1960年代末期のスチール家具普及率は約75%でした。
▼画像イメージ出典元
3.1970年代のオフィス(第1次オイルショック前後)
1970年に大阪万博が開催されました。当時の日本人は皆、明るく希望のある未来を信じていました。足りないモノは多かったですが、希望だけは共通に持っていました。今はモノはあふれていますが、希望を持っている人が少なくなっているようです。今の時代で希望のエネルギーが大きくなると世の中ももっと明るくなるのですが。。。
それはさておき、
1973年、突然オイルショックが起こり生活物資供給はパニックに。(筆者も大阪の学生下宿で生活していましたが、突然トイレットペーパーがなくなったことを、強烈に覚えています)
オフィスでは1971年にデスク、チェアのJIS規格が見直され、日本人の体格に応じた10㎝モジュールに改定されました。これをきっかけに人間工学研究の反映やスチール家具のカラー化が行われ、オフィスのインテリアもグレー一色から色彩のあるオフィス空間に変化していきました。ローパーティションが登場したのもこのころです。
1979年はファクシミリ、複写機、オフコンがオフィス三種の神器として登場し、オフィスオートメーション(OA)の幕開けとなりました。
(レイアウトはほとんどが島型対向式、サイドボード形式のレイアウトも)
4.1980年代のオフィス(低成長期~バブル景気)
1980年はOA元年として仕事の仕方に大きな変化をもたらす重要な年でした。
日本は米国についでGDPは世界第2位の経済大国。家電、カメラ、自動車などの産業も世界トップクラスになり、オフィスビルはOA化対応の高付加価値ビルが建設されていきました。1986年、日本のオフィス環境の向上を目指して「ニューオフィス協議会」が誕生し、日経ニューオフィス賞は1988年から開始されました。
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もっと知りたい!日経ニューオフィス賞ってどんな賞?受賞オフィスのキーワードは?
1987年には日本ファシリティマネジメント協会が設立されました。(レイアウトはパソコンを複数人で使用することを考慮)
5.1990年代のオフィス(低成長/マイナス成長期)
バブル景気が崩壊し、オフィスコストの削減や施設の有効活用をはかるファシリティマネジメントを導入する企業が出てきました。
高度成長期を支えた日本的経営システムも、工業社会から知識社会への転換が必要となり、経営資源としてのオフィスの重要性が認識され、知識創造型オフィスへの転換が経営課題となりました。1995年のWindows95の発売はオフィスワークにおいても大きな変化をもたらしました。情報化がより進みEメール利用のネットワーク環境も整備されてきました。(フリーアドレスのオフィス、変化対応を考慮したオフィス)
6.2000年代のオフィス(ICT環境の進展)
1990年代後半に普及したインターネットは電子メールやホームページを急速に促進しました。
ICTの進展は働き方や暮らし方を大きく変え、いつでもどこでも働けるテレワークなどの新しいワークスタイルの試行が始まりました。情報化が進んだことで、オフィスは事務処理の場から、知識創造の場=クリエイティブオフィスとして捉えられるようになりました。(ノンテリトリアルオフィスなど)
教えて一色先生!クリエイティブオフィスの共通項1~「クリエイティブオフィスってなに?」
7.2010年代のオフィス(ダイバーシティの促進)
ICTがより発展し社会に浸透していきます。クリエイティブオフィスはさらに進展し、企業は知識創造だけでなくイノベーションをより志向するようになりました。オフィスの中だけでなくオフィスの外を含めて、仕事に合わせて自由に働きやすい場所を選択して働くABW(Activity Based Working)という働き方が導入されることにより、出社しなくても社内と同じように業務ができるようになり、自宅やコワーキングスペースなどワークスペースは多様化していきました。(コミュニケーション活性化を考慮、ABWのオフィスなど)
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今回は「日本の経済成長とオフィスの変遷」を紹介しました。
これからを考えるために、これまでの歩みや原点を知ることはどんな分野でも大事なことです。今の環境の中に身を置くだけでなく、なぜこうなったのか、これからどうすると今よりもっとよくなるのかと思う時を、忘れないようにしたいと思っています。
ここまで読んでいただいてありがとうございました。
※記事の内容は、一般社団法人日本オフィス家具協会から発行されている「オフィスづくりの基礎知識 ―人・組織・オフィスをとりまく環境を整える―」の中で筆者が執筆している、「日本におけるオフィスの変遷」の記事を参考にしています。
ライタープロフィール
コクヨに42年間オフィスデザイナーとして勤務。オフィスデザインだけでなくオフィス研究やオフィス運営維持活動も担当。オフィスやカイゼンに関する講演は全国で50回以上実施している。2019年にはデザインスタジオを開業。オフィスのコンセプトづくりやコンペ提案のアドバイスを対応。
水彩画家として個展やカルチャースクールの絵画講師、公募展への応募なども行っている。2020年には初出品した水彩画が日展入選。はやくスケッチ旅行を再開したい。
ライタープロフィール
コクヨに42年間オフィスデザイナーとして勤務。オフィスデザインだけでなくオフィス研究やオフィス運営維持活動も担当。オフィスやカイゼンに関する講演は全国で50回以上実施している。2019年にはデザインスタジオを開業。オフィスのコンセプトづくりやコンペ提案のアドバイスを対応。 水彩画家として個展やカルチャースクールの絵画講師、公募展への応募なども行っている。2020年には初出品した水彩画が日展入選。はやくスケッチ旅行を再開したい。
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