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オフィスに関わるあんな人こんな人、ご紹介します!

ライター:セッキ―

2024.11.14

髙木 秀邦:三代目社長の踏み出した「1°」。自己表現しつづけ見出した新たな不動産の価値
TAKAGIグループ/代表

ミュージシャンと不動産仲介の営業マン。
この二つの職業の共通点を、あなたは見つけられますか。

スタートアップ企業の成長を応援する次世代型出世ビル
起業して間もないフェーズや起業準備中などの会員が集まりコミュニティともなるシェアオフィスーBIRTH WORK神田BIRTH WORK麻布十番
「泊まらないホテル」をコンセプトにしたSALON91°(サロンナインティーワン)。(今年5月、銀座髙木ビルにてグランドオープン)

これまでの不動産ビルオーナーのイメージを覆す数々の取り組みをしてこられた、株式会社髙木ビルの三代目代表取締役社長であり、TAKAGIグループ代表の髙木秀邦(たかぎ・ひでくに)さん。

ミュージシャンとして音楽に没頭した時期を経て、その後飛び込んだ不動産仲介の世界で彼は同じ“熱”を覚えます。そして三代目として老舗ビルを継ぎ、誇りと伝統を守りながらもその殻を打ち破り、企業の成長に寄り添うカタチであらゆる自己表現をしつづけています。そんな髙木さんを作っている根っこの部分を聞きたいと思い、取材を申し込みました。

どんな困難が立ちはだかり、何を思ったのか。髙木さんが踏み出した「1°」とは。

あきらめた夢、継ぐ決意

――髙木さんは、府中市にて地主の家のご長男としてお生まれになり、いわゆる跡継ぎとして育ったのですよね。

髙木さん
(以下、敬称略):はい、株式会社髙木ビルは祖父が創業した会社ですから、創業者が常に家にいる状態で、“三代目”として育てられてきました。

小学校の時に、夢を書く作文ってあるじゃないですか。でも僕は、すでに敷かれたレールがあって「夢」を持てなかったんです。先生に、「夢がないんです」って言ったら、「そんなわけはない、書きなさい」と言われちゃって笑。僕にとっては継ぐのが当たり前のことで、すんなり受入れてる状態だったんですよね。

高校生くらいになってやっと、自我がないまま過ごしてきた自分に気付き、たまたま出会った音楽に強烈に感動を覚えてどっぷりハマってしまったんです。大学生活も、半分プロ活動しながら過ごして、卒業と同時にレコード契約もできてデビューも果たしました。

365日寝ても覚めてもギターのこと、音楽のことで頭がいっぱい。幼い頃に夢を持てていなかっただけに、音楽に出会った時の反動が大きすぎて無我夢中で走っていたんです。

5年ほど経った頃、バンドを解散し、レコード契約も終わって夢を諦める瞬間がきました。そこで初めて、実家の家業を思い出します。まだ祖父も生前でしたし「いつかは…」と言ってくれていたので、甘い気持ちで戻ろうとしたところ、父から一喝。「ふざけるな」と完全拒否されるわけです。

いや、してくれたんです。

――拒否「してくれた」と?

髙木
:はい。お前がきても会社がつぶれる、と。当然ですよね、僕のようにただ好きなことだけをやってきた考えの甘い人間が、社内で受け入れられるはずがない。法律や取引に関するあらゆることを学ぶ必要もあるし、それでなくても不動産市場は生存競争の激しい厳しい世界。お前のようなものが入れる世界じゃない!父の言葉で気づいたんですよね。

そうか、自分が音楽に人生をかけていたように、家業にも一生懸命取り組まないといけないな、と。今まで、そんなものはロックじゃない!とか言って避けてきたので(笑)、エントリーシートの書き方もわからずに初めて就職活動したのが27歳です。

――いえいえ、そこで折れずに、お父様に感謝して前に進むというのが、ロックです!

髙木
:不動産仲介会社にご縁をいただき、営業の仕事をやってみたらこれが、すごく面白かったんですよ。初めてのマイホーム購入のサポートだったり、マンションの売買だったり。いろんな人の人生に関われることが、とにかく楽しかった。

買う側も売る側も、いろんな理由があります。どうしたら心地よい取引ができるかを考えたり、お客さんの嬉しいことやドキドキワクワクを共有できたりしたことが、自分にとってのある種の「表現活動」になっていて、音楽と同じじゃないかと。すごく楽しくて、気づいたらミュージシャンの頃のように没頭できていたんですよね。営業成績も上がり、何度も表彰されるようになって、少しずつ父に認められていき、5年後に初めて髙木ビルに入社しました。

入社後の違和感、立ちはだかる困難

――32歳頃、いよいよ髙木さんの才覚発揮の場ですね。

髙木
:いやそれが、入社してすぐに戸惑いを感じました。通常、テナント企業さんがビルのオーナーに会うことってほとんどないと思いませんか?まるで城の天守閣に鎮座して、ほとんど表に外に出なくていい、そんな感じだったのです。

――そうですね。そんなイメージです。

髙木
:管理会社、仲介会社、さらに社内にも担当者がいて、髙木さんは出て来なくて大丈夫、みたいな。ミュージシャンの時も営業マンの時も、最前線でお客様と触れ合って、その感動をパワーに変えるという生き方をしてきた僕が、お客様に会えない。正しいのかもしれないけど、モヤモヤしたものを感じていました。

バブル期を乗り越えてきた父には、財産を守ることが一番で、敵を寄せつけないこと、トラブルを遠ざけること、という考えが根強く残っていましたし、経営者仲間からもそういうものだ、と諭されて。気持ちのずれを感じたまま1年経った頃、3.11の東日本大震災が起きます。

これが僕の一番大きな転機になりました。

高層ビルの見たことのない揺れ、計画停電だ、放射能だと不安なことが多発して経済が落ち込んで、新宿では象徴的なことが起きました。うちの西新宿のビルでもテナントさんがどんどん減ってしまって、何もできずにいたところへ、あるフロアの経営者さんが教えてくれました。

「髙木さん、正直に言いますけど、大手●●ビルから、ここの半額で入居できると言われています。 もし髙木さんが同じ条件にしてくれるならうちは残りますけど…」

愕然としました。大手のビルが賃料を大幅に下げたり、フリーレント1年などの条件を出したりして生き残りを賭けた“引き抜き合戦”が勃発していたんです。これにはすごく悩みました。テナントさんには残ってもらいたい。でも今まで守ってきた賃料をここで半額にしてしまったら、このあと元に戻すのに何十年とかかるだろう。歴史と伝統を僕が崩してしまっていいのだろうか?

残って欲しくても、それに値する魅力がない。これは強烈に胸に刺さりました。築年数、広さ、駅から何分とか、ビルのスペックだけに頼ってビジネスをしていたことに残酷なまでに気づかされた瞬間でした。うちには引き留めるすべがない。結局、12テナントのうち9テナントが抜けていきました。

祖父から受け継がれてきたものを守らないといけない一方、今後、同様に危機が起きたときに自分たちのバリューがなければ負けてしまう。悔しさだけを残したまま何もできず、少しずつ経済が戻ってきた頃に、やっと動き出しました。

強みを模索―入居者に寄り添う新しいビルのカタチが誕生

――何をしたんですか?

髙木
:今まで会えていなかった人にひたすら会いに行きました。仲介会社の社長さんや営業さんに会って今まで聞いたことのない意見をどんどん聞き、テナントさんの交渉の場にも出ました。

あるとき仲介業者の営業さんに言われます。「髙木さん、設立5年未満はNGとはわかっているんですけど、ちょっと見てもらえませんか。この会社すごくいい会社なんです」と。ここで僕は、入居希望テナントさんの熱い想いに触れたのです。

「まだ2年で、こんなすごいものを世の中に生み出しているなんて! 素晴らしい熱意だ!」と感動して応援したくなったんです。今まで与信や売上など書類だけを見てオートマティックに処理してきた自分が、逆に、是非入ってくださいと、お願いしていましたね。

入居できたことですごく感謝され、これから頑張ります! と励んでくださる。そうすると、ビルの中ですれ違ったとき、業績が上がったことや新たなプロジェクトが決まったことなど、嬉しいことを報告してくださるんですよね。これが僕も本当に嬉しくて。おめでとうございます! もっと頑張ってくださいね! はい! みたいな。

企業やその経営者が頑張っているという事実が、不動産ビルを所有する我々の目の前にたくさんある。それなら、「テナント企業さんに伴走する、応援者になりたい」という確固たる思いが自分の中に定まりました。これが大きな出発点になって、出世ビルプロジェクトがスタートしたんです。

成長過程の企業には敷金をゼロで入居してもらったり、階段賃料といって、初年度は70%、2年目85%、3年目100%、4年目105%など企業の成長段階に寄り添うスタイルを考案していき、プロジェクトがどんどん広がっていきました。

▼都心のオフィスビルに入居を希望する、成長を目指す企業を対象

――“寄り添う”という言葉がぴったりのサービスなんですね。そのフェーズの企業さんにはとても励みになると思います。

髙木
:そしてまた次の出来事があるんです。入居時には数人だった社員が30人ほどになるまで成長した企業さんが、うちのビルからもっと大きいビルに移転されることになったとき、その経営者が僕に言ったんです。

「僕らは髙木さんに会えてラッキーでした。本当に感謝しています。でも、実はビルに入る前がもっともっと大変なんですよね。自宅アパートの一室を登記して起業したけど仲間もいない、成果をシェアできる場所もない、そんな経営者がほとんどで、みんなそれを耐えて頑張ってるんです」

ここでまた気づかされました。

僕はビルオーナーだからビルに入居してくる人しか知らない。でもその手前で頑張る人たちを応援すれば、もっともっと企業の成長に寄り添える、さらにその後入居してくれるかもしれない、と。孤独を感じる経営者が集まれるコミュニティのような場所があったらいいなと。そこで、全くノウハウもない中で、ビルを購入しリノベーションしてシェアオフィスを立ち上げたのです。

――そこで誕生したのが「BIRTH KANDA(現BIRTH WORK神田)」なのですね!

髙木
:そうです! そこからはもう経営者仲間から話がどんどん広がっていろんな起業家とつながり、1号入居者になってくれる人や、一緒に作り上げていく仲間も増えていきました。意見やニーズをディスカッションする場としても盛り上がっていきます。広告を使わず、人から人に伝わってその温度を体感して、僕らの想いに共感して入ってくれるという。

もうここまでくると、単なるビルオーナーと入居者という関係を越えていますよね。床を貸しているとか、賃料を払ってもらってる相手という感覚はまったくないです。同じ船に乗っている仲間なんです。

▼画像引用元(https://birth-village.com/work/kanda

――震災の時の悔しさがここまで形になったのですね。スペックではない、髙木ビルだけのバリュー。すごい武器だと思います。

髙木
:これからは、人と人がつながることが新しい不動産価値になっていくと思います。例えば、優しい女将さんがいる温泉宿に何度も行きたくなるとか、いつでも話し相手になってくれるマスターのいるコーヒー屋さんに行きたくなるとか、そういうのがビルにもあってもいいよね、って思うんですよね。

髙木さんの踏み出した「1°」と、これから

――貴社のロゴマークについて、直角の部分を1°前に進めたら「T」が現れる。そのたった1°の踏み出すことを応援したいというお話にすごく感動しまして。 髙木さんがこれまでの人生で1°踏み出すことができた場面についてお聞きしたいです。



髙木
:やっぱり震災の時ですね。ゴールがまったく見えない、ノウハウもない、とにかくわからないけど、たった一つだけ、「人に会う」ということを信じてやり始めた。

父の時代の価値は、とにかく我慢、動かないことでした。でも僕は、座して死ぬのは嫌だったんです。

BIRTH WORK神田、麻布十番、さらにレジデンスなど展開し活動を広げていこうとしたときに今度はコロナ禍が始まった。これによってオフィスや場所の概念が大きく変わるというまたもや危機でしたが、震災のときとは違う。BIRTHがあったから、たとえ人が来なくてもキッチンを開放して料理人をサポートしたり、オンラインで何か発信したりと、売上的にも社員のモチベーションという意味でも会社を支えてくれてたんです。

今思うと、震災の時に味わった敗北感からの、あの一歩がなかったら、きっとこの危機に負けていたんじゃないかと思います。

▼BIRTH LAB(麻布十番)

――これからの展望についてお聞かせください。

髙木
:東京に限らず、こういった活動をもっと多くの人と地域に広げていくのが役割だと思っています。いまは、地方公共団体との取り組みも始まっていますし、別の地域にあるコワーキングスペースと連携して相互利用を可能にし、人材交流を図るなどしています。日本全国に1,700を超える自治体が存在しますが、そのうち4つの自治体とも協業が始まっています。どこまでいけるかわからないですが、こういう活動がもっと増えていくといいなと。

ハードやアセットに紐づくものだけが不動産の価値ではなくて、人と人とのつながりで生まれる収益。これは、新しい不動産の価値になっていくと思っています。

――今後もまた別の「1°」を踏み出していく髙木さんを楽しみにしています!今日はありがとうございました。

◆編集後記◆

自分の代で今まで祖父や父が守ってきたものの“守り方”を変えた。並々ならぬ勇気と挑戦の結果、次の危機を乗り越える強みとなった。資産を守り、会社を支え、新たな価値を生み出したーー
踏み出す一歩の大きさを教えていただきました。

昨年他界されたお父さまは、当初は心配しつつ見守っていたそうですが、BIRTHができて、社員も増え、メディアにも出るようになり、だんだんと活力が増してくる会社を見て、嬉しそうに見ていらしたそうです。

「そういう新しい一歩を踏み出したことが最初は信じられなかったけど、お前らしいなって言ってくれましたね」(髙木さん)

最後までパワーあふれるお話しぶりでこちらも元気をいただきました。自分が表現したことで人が感動してくれて元気になっていく様を見て心が震える、というのはまさにミュージシャン。髙木さんの魂に少し、触れることができた取材でした。

プロフィール髙木 秀邦(たかぎ・ひでくに)

株式会社髙木ビル 代表取締役社長
TAKAGIグループ 代表

1976年生まれ、東京都出身。成蹊高校、早稲田大学商学部卒業。大学卒業後、プロのミュージシャンとして活動。その後、信託銀行系大手不動産仲介会社で営業職を務め、2009年株式会社髙木ビルに入社。東京都を中心に自社ビル・マンションの設計開発、管理運営を手がけ、「オフィスビルの新たな価値創生」を掲げて活動している。
セッキ―

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ライタープロフィール

整理収納アドバイザー(準一級)、防災士。2014年入社、当社で初めてライターに挑戦。キャリアのスタートは銀行員、その後リクルートグループ、大手税理士法人、スポーツアパレルなど複数の事業会社で管理部門、企画部門、秘書などを経験しながらカルチャーショックのシャワーを浴びまくる。2度の高齢出産を経て復職し、現在家事・育児・リモートワークに奮闘する毎日。無類のコーヒー好きで趣味はハンドメイド。いつかはインタビューされる側になりたい!

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整理収納アドバイザー(準一級)、防災士。2014年入社、当社で初めてライターに挑戦。キャリアのスタートは銀行員、その後リクルートグループ、大手税理士法人、スポーツアパレルなど複数の事業会社で管理部門、企画部門、秘書などを経験しながらカルチャーショックのシャワーを浴びまくる。2度の高齢出産を経て復職し、現在家事・育児・リモートワークに奮闘する毎日。無類のコーヒー好きで趣味はハンドメイド。いつかはインタビューされる側になりたい!

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