2011.04.27
「ファシリティ」畑ではなく、「総務」畑
「私は、今回の品川新本社構築を含め、第20回、22回の日経ニューオフィス賞を頂いた赤坂オフィス構築、福岡オフィスの構築等の比較的表に出やすい経歴を持っているため、「ファシリティ」畑の人間だと思われがちなのですが、新卒で入社をした会社から、これまでのマイクロソフトの業務の大半は、「ファシリティ」も含めた企業のバックオフィス業務全般を行なってきており、あくまでも“自分は「総務」畑の人間だ”と認識しています。
オフィスを考える上では会社としての日々の運用を理解している必要があります。そういった意味で、バックオフィス業務全般、つまり会社の運用に関わる部分を一手に引き受けて行ってきたことが、現在に繋がる私自身の最大の財産だと感じています。」
原点は外資系製薬会社での総務
「新卒で入社した会社は外資系の製薬会社でしたが、その時に総務部に所属し、今に繋がるオフィス関連の業務もこなしていました。私の入社時は全社員あわせて200名ぐらいの成長中の企業だったため、私も多くの業務範囲を担当していました。本社オフィスの拡張や縮小、地方拠点の移転、コールセンターの立ち上げなど、ファシリティ業務を中心に会社の購買や安全衛生管理、さまざまな庶務業務までの総務全般を行っていました。
とても忙しい新人時代でしたが、今思うととても楽しかったと思っています。多種多様な業種のパートナーさんとやり取りをさせていただき、バックオフィス業務全般に渡って幅広い知識に触れ、パートナーさんからさまざまな知識を得ることが出来ましたし、総務業務は特にコストとの戦いであるため、金銭感覚も身に付けることが出来たと思っています。
そして何よりも、外資系の風通しの良い企業であり、更には役員が直属の上司であったため決裁の権限が大きく、様々な新しいことにチャレンジできたことが新卒で入社した会社としてとてもよかった点だと思っています。」
学生時代から海外での活動を開始
「そもそも、私が外資系の会社に入社したのは大学がアメリカであったことが大きな要因の一つでもあります。私はアメリカの大学で経済学部と芸術学部の2つの学部を専攻し、4年間で卒業しました。少し変わった学部選択ですが、単にアートや芸術が好きだっただけではなく、日本の高校卒業後に渡米したのですが、当時は英語も勉強中だったため、極力英語を使わなくても済む数学やアートを選考したのです。
環境の劇的な変化、また第2外国語の英語での大学生活は、正直とても辛いもので、もがき苦しむ日々でした。時々今でも卒業できたことが信じられない時があります。ただ、その経験を通して人としてとても強くなったと思いますし、今の私を形作ってくれたと思います。
そして、学生時代就職に当たっては日本にもどり、就職セミナーに参加したりもしましたが、日本企業に対して何かピンとくるものを感じられず、友人の通っていた大学の就職課の求人表にあった外資系の会社を選びました。 そこから人事担当者に電話連絡をいれ、入社試験、面接と、とんとん拍子に入社に至ったという経緯があります。(その会社の総務の担当者が辞めてしまい、すぐにでも人材がほしかったという話が後からありました)」
マイクロソフト入社当時が最も辛かった
「そして2001年に今のマイクロソフトに入社してからは、3年ほど新宿本社にてサイトマネージャをしていました。私が入社したのは、ちょうど渋谷から新宿への本社移転の真っ最中で、ビルの5フロアを使用していたところから、最終的な10.5フロアになるまで、アシスタントを含めてたった二人で総務全般の業務をこなしていました。
当時、マイクロソフト自体、まだ組織として成長過程で、3ヶ月毎に大きな組織変更が当たり前の様に行われていたため、オフィスのレイアウト変更も頻繁に起こっていました。また、弊社では当時プロジェクトの推進をインハウスで行なうため、ユーザーのリクエストを日中に取りまとめ、夜から図面を引いたりといったオフィス関連の業務だけでもかなりの業務量がありました。 あの頃が今までで一番肉体的には厳しかったですね。ただ、当時まだベンチャー気質が強く、急成長中の企業の、オフィスを含めた会社づくりに携われたことは幸せだったと思います。」
今の役割は自社らしいオフィスを考えること
「その後は、オフィス業務に傾倒し、肩書きもプロジェクトマネージャに変わって、スケジュールやコストの管理から、ワークスタイルの検討、オフィスのプログラミング・設計まで幅広い業務に携わってきました。その中での一つの実績に、第20回日経ニューオフィス賞を受賞した赤坂オフィス・新宿本社があります。
そして、ちょうど赤坂オフィスの構築を終えた頃、会社自体や移転プロジェクトの規模も大きくなってきたため、これまで同じ人間がこなしていた、ワークスタイルを考えてそれをオフィスデザインに落とし込むプログラムマネージャと、スケジュールやコストを管理するプロジェクトマネージャに役割を分けることになり、私は前者の担当として、マイクロソフトとして理想的な働き方やオフィスの追求といったことに尽力しています。」
別事業部の統合が品川オフィス構築最大の難関
「その後、新宿本社の改修や、初台への新規出店、各地方拠点の移転など、マイクロソフトのオフィス全般を対象としてプログラムマネジメントを行いました。その中でも一番最近のプロジェクトが品川オフィスへの統合移転になります。
2009年11月頃から、プロジェクトを開始し、社員の代表を集めての現状の問題点把握から、マイクソフトとして将来のあるべき姿等についてのディスカッションや、マイクロソフトの海外拠点や他社オフィスのケーススタディを行った後にオフィスのプログラミングを開始し、2010年のビル側との契約を経て、約13ヶ月を掛けてプロジェクトを行ないました。
今回のプロジェクトに当たって最も大変だったのは、これまで別拠点で運営してきた、法人向けの事業部と一般消費者向けの事業部を同じ拠点に統合させるという点でした。マイクロソフトとして世界的にもこれまでにない試みだったため、これをどう解決し表現するかということが一つのテーマでした。
これについては、経営層から一般社員まで幅広く意見を聞きつつ、設計者とも入念にやり取りをした上で、カスタマーフロアごとに法人向けと一般消費者向けを区切りながらバランスを整えるという形での解決を図りました。」
プロジェクトに魂を入れるのはインハウスのプロジェクトマネージャの役目
「もう一つ今回のプロジェクトでポイントだったのは、2500人という大規模の人々を対象としたオフィスをつくるに当たって、社員の納得感をいかに上げていくかということです。
約60%の社員を対象にしたフリーアドレスの適用や、ファイル量の大幅削減等、働き方に関わる大きな変化があったため、社員を含めマネージャから経営層まで、考え方の根本から変えていく必要がありました。
そのために、新たな施策を実施するまでのストーリーづくりや、それを社員にどう伝えるかといった社員とのコミュニケーションなど、「チェンジマネジメント」に力を入れました。
会社の文化や歴史を含めて、社員とのコミュニケーションについて考え、プロジェクトに魂を入れることが出来ることが、インハウスにてプロジェクトマネジメントを担っていることの最大のメリットだと考えています。」
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私が日本マイクロソフトの品川オフィスを見学した際、「細部までこだわってつくられた、生きたオフィス」という印象を受けたが、今回のインタビューを通して、そのこだわりは正に長坂氏の人柄が表れた結果なのだと感じた。
今回長坂氏には、大学時代から遡ってお話をして頂いたが、これまでのどの時期においても端から見たら信じられないようなハードスケジュールの中で日々の生活や業務を行ってこられたことが伺える。
しかし、それよりも驚愕なのは、長坂氏の話す全てのエピソードの末尾に共通して「あの時は楽しかった」というコメントが添えられていたことである。
自ら厳しい環境に飛び込み、それを楽しむことが出来る長坂氏だからこそ、これまで数々の実績を残し、また、今回の品川オフィスへの移転統合といった同社の一大プロジェクトを任せられているのだろう。
現在、世界のIT化を牽引し、今後もその存在感を増していくであろうマイクロソフトにおいて、同社自身の働き方やオフィスの議論も活発化していくと思われる。それを統括していく立場に長坂氏の様な方がいることは今後の会社の成長にとって大きな強みになるに違いない。
プロフィール | 長坂 将光
アメリカのジェームスタウン大学の経済学部・芸術学部を卒業し、1997年に外資系製薬企業入社しファシリティを含めて、購買、IT、セキュリティ関連業務など、総務全般を担当。 その後2001 年 12 月年にマイクロソフト入社し、新宿本社サイトマネージャ、全社プロジェクトマネージャを経て、現在のCREグループ プログラムマネージャに従事。 2007年に第 20 回「日経ニューオフィス大賞 情報賞」を受賞した赤坂オフィスの構築や2011年2月の品川オフィスへの統合移転を中心に数々の実績を残している。 |
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